鎬造 庵棟反り浅く中鋒。
鍛 板目肌よくつみ鎬地柾となり地沸厚く付く。
帽子直ぐ丸く長く焼き上げる。
刃文直刃調に浅く湾れて互の目足入り
細かに砂流しかかり匂口最良に冴える。
茎生ぶ先剣形風の入山形 鈩勝手下り目釘孔一。
康継一門は代々徳川家のお抱え鍛冶で
当時の刀鍛冶の最高の地位の名門です。本工は江戸三代で
二代目の嫡子であります。
越前三代の甥に当り下坂右馬助後に市之丞と称しました。
寛永七年生れ年季は殆んど見られません。
重要第二七五〇号
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江戸時代後期の刀工。新々刀備前伝の第一人者。
陸奥国白河(福島県白河)生まれ。通称「宗兵衛」「一専斎」「精良斎」。兄に固山宗平、固山宗俊。
加藤綱秀の門人で同門に長運斎綱俊などがいました。
寛政の改革で有名な松平定信のお抱え工となりましたが、1823年、松平家が伊勢の桑名藩(三重)に転封となりましたが少し遅れて1829年に同地に移り作刀を始めました。
1831年から1834年頃は江戸で作刀していたようで「於江都」の銘切があります。一時期
尾張藩でも作刀していたようです。1845年「備前介」を受領。
作風は受領銘の通り、備前伝が得意。初期は華麗な丁子乱れが多い、後期になり穏やかな互の目乱れの作刀が多くなる。
宗次は大変逸話の多い刀工で、江戸四谷で作刀していた時分、向かいに引越ししてきた源
清麿と技を競いあったという。
また、山田浅右衛門など公儀の御様御用と友好関係にあり、試斬銘が多い理由の一つです。
華麗な作風でありながら、抜群の斬れ味を誇る刀を世に送り出した刀工の一人と言えるでしょう。
弟子に泰龍斎宗寛など。実子の宗一郎が2代目宗次を襲名。
鎬造り 庵棟低い中切先 鍛え小板目肌、良く詰み所々に肌立つ。
地景を配し地沸厚く微塵に付き、刀文互の目丁子で、小互目小丁子尖り風の刃を交入り
刃縁荒沸はくか有。匂い口柔らかく非常に明るい、帽子乱れ込んで焼き深く小丸に返る
茎産ぶ入れヤスリ切化粧ヤスリ、銅に金着せハバキと最大業物の拵え付き。
初代国包は慶長時代に伊達政宗のお抱え刀工で伊達藩の藩工として作刀しました。
その後、明治13代続く刀工群で、代々大和伝の鎬高、沸ついた直刃の刃紋、
肌は極めの細かい柾目肌を得意としていました。
13代国包は文政3年生まれ。嘉永頃から明治初期まで活躍した刀工で明治13年没。
明治廃刀令発布後は刀工を辞め米穀業の商いを始めた。
身幅広く重ねつき反り浅め気味。
大切先の迫力有る姿で 地鉄柾目よくつみ、地沸微塵に厚くつき、
刃紋の沸匂ひと際深く明るく冴え
帽子直調で帰りが無い焼き詰め風の大切先。
茎健全で刀身も見事な出来である。