01-3030大和守安定 (白鞘) 刀

01-3030
在庫状態 : 在庫あり
¥3,500,000(税抜)
¥3,850,000(税込)
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日本美術刀剣保存協会「特別保存刀剣」鑑定書付き
表 銘:大和守安定 裏 銘:三胴切落 大膳大夫綱廣公江越前守光通公ヨリ来之 山野勘十郎 時 代:
刃 長:82.4cm 元 幅:31.4㎜ 元 重:6.2㎜
反 り:2.2cm 先 幅:22.8㎜ 先 重:4.5㎜
目釘穴:1個 鞘を払って:—g 刀身のみ:811g
登 録:岐阜県教育委員会 令和 2 年 10 月


寒山先生鞘書有

姿 二尺七寸を超える長寸(82.4㎝)。鎬造、鎬尋常、庵棟低め、子切先風。
地鉄 小板目よく詰み明るく冴える、地景しきりに働き、玉状の飛び焼き入る。
地沸一部鎬にかかるほど広く厚い。
刃文 互の目丁字、尖りごころに非常に激しく働き、刃明るい。
刃縁の沸匂一際深く、足・葉入り、砂流し、金筋しきりに働く。
帽子 尖りごころに掃き掛けて深く返る。帰り沸づく。
茎 生ぶ。筋違い鑢。差表に大和守安定 差裏に金象嵌で三胴切落 大膳大夫綱廣公江越前守光通公ヨリ来之 山野勘十郎と切る。

安定は新刀大業物として名高く、虎徹と並びそのすさまじい切れ味で刃味新刀随一と称され
広く知られております。試斬の名人である山野右衛門尉永久、山野勘十郎などの裁断銘が入った刀が数多く残されており、
これらの金象嵌銘が入った刀は特に価値が高く、多くの剣豪に愛用されました。

新選組の沖田総司が特に有名ですが、大石鍬次郎、戊辰戦争の遊撃隊隊長である伊庭八郎も愛用したと伝えられています。

生まれは元和四年(1618年)、従来は9割がた越前の出身とされてきましたが、近年紀州石堂鍛冶の祖と伝わる安廣との合作刀(脇差)
が出現したことにより、紀州の出自であることがほぼ間違いないとされるようになりました。

慶安元年(1648年)頃、安定は30歳前後で江戸へ出府し、和泉守兼重、越前康継あたりに師事したとされます。
江戸出府以降の作風には、紀州石堂派よりも兼重、康継の影響と思われるものが強く認められるようになり、
湾れに互の目を交え、湾が角ばるような出来のものが多く、次いで互の目を基調とした乱れ刃、稀に直刃調のものも見られます。

本刀は、二尺七寸を超える長寸を一点の破綻もなく仕上げており、名鑑等所載刀にも類を見ないものです。
同工作の中でも最高傑作と言えるでしょう。

地鉄はよく詰んだ小板目肌が明るく冴え、地沸厚く付き精良。刃文は物打付近で棟に迫り、
切先にかけての金筋凄まじく、まさに刃味随一といった出来。
茎には山野勘十郎の裁断銘が金象嵌で切られており、その切れ味は実証済み。
加えて越前守光通公(越前福井四代藩主松平光通)から大掾大夫綱廣公(長州藩二代藩主毛利綱廣)へ
送られた旨の由来が切られており、その歴史的価値の高さが伺えます。

なお松平光通は教養人で優秀な藩主であったとされ、山野海川に関する法、家中や税制などの法整備や改正を行い
反省の地盤を固めたほか、学問・文化方面でも反を発展させようとした人物です。

一方の毛利綱廣は将軍徳川家綱の外又従弟にあたり、街道の整備や参勤交代の拠点の築造のほか、
毛利元就以降の先例をまとめ上げた万治制法と呼ばれる法令を制定させたとされます。

また松平光通と毛利綱廣は両名とも結城秀康(徳川家康の次男)の孫にあたる人物であり、
綱廣公自身も越前松平家から正室・千姫(高寿院)を迎えています。

勘十郎による試し斬りはいつ行われたのか、本刀がどの時点で毛利家に渡ったのかについては
研究の余地がありますが、歴史的にも大変面白い一振りです。

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